ネタその2

京野菜(旬、特徴、名の由来)
九条ネギ
九条ネギは青ネギの代表品種として知られていて、ねぎの種類と言えば関東の白ネギとこの青ネギがある。旬は通年で一年中おいしく食べることができる。特徴は葉の内部のぬめりはねぎ本来の甘みと柔らかさをだすネギである。九条ネギのお名前は京都の南側の九条と呼ばれる地域付近で最もおいしいネギが作られたことに由来する。

賀茂ナス
あるアンケート調査では、代表的な「京野菜」の第1位に「賀茂なす」が選ばれました。旬は7月から9月の間で、おいしく食べることができる。
特徴はボリュームのある丸形をし、濃い紫色の大型のなすで、なすの女王とも呼ばれている。特に田楽と呼ばれる料理として親しまれている。(横半分に切ったなすを油で揚げ、赤味噌に酒・砂糖・みりんを練り合わせたものをぬる料理。)
賀茂ナスの名前は京都市内を流れる「かも川」と合流する北の支流の一つの賀茂川がある。その賀茂川は名水の地で、おいしいなすが育つということに由来する。

聖護院かぶ
京漬物と聞いて千枚漬けを連想する方は多いが、千枚漬けを長年支えてきたのが聖護院かぶである。かぶの大きさは日本一といわれ、直径20センチ以上、重さ4キロにも成長する。特徴は甘みとかぶ特有の風味、歯切れの良いかぶである。聖護院かぶのお名前は江戸時代、左京区聖護院に住む農家が栽培し始めたことに由来する。

八つ橋
聖護院というと聖護院八つ橋と呼ばれる八つ橋のお店があります。
八つ橋がお土産として知られるようになったのは明治10年に京都に鉄道が通ることがきっかけである。西尾松太郎が京都駅で土産物として販売を開始し、大正4年の大正天皇即位のお祭りで京都を訪れた人々が買い求めたことで全国的に有名になったとされている。
八つ橋の種類は硬い八つ橋と柔らかい生八つ橋の2種類が有名だ。
「八ッ橋」の由来は2つある。 1つ目に「伊勢物語」にも登場する、八橋の板橋に形が似ていることが由来とする説。2つ目に琴の名手であった八橋検校を由来とする説。八橋検校 は亡くられその業績を忍び、聖護院の森、参道で琴の形を形どった菓子を「八ッ橋」と名付けて売り出したのが始まりと伝えられている。この2つの説がある。

千枚漬け
千枚漬けも京都の土産として知られている。(聖護院というと「千枚漬」もイメージされます。)千枚漬けは、幕末にひとりの宮中料理人が旬の聖護院かぶらを薄く切り、塩や酢に漬けたのが由来と伝えられています。漬物が長期保存食だった当時、浅漬けならではの純白で美しい姿や上品な味わいは多くの人々を魅了した。

寺と神社の違い
お寺と神社の違いって何だと思わない。お寺と神社の違いをいくつか紹介するね。まず1つ目に宗教の違いだ。お寺(寺院)は仏教のための宗教施設で、坊さんが住み、仏道の修行を行っている。本殿には「本尊」と呼ばれる仏像が据えられ、信仰の対象である。神社は、日本発祥の民俗宗教である「神道」の宗教施設で、自然や「古事記」「日本書紀」に登場する古代の神々や皇族などを祀っている。仏教と大きく違うのは、教祖や経典がなく、また像を信仰の対象としていないことだ。また、死をよくないこと、汚れとしているので墓はなく、葬式も行われていない。
つぎにお参り方法の違いである。願い事をするとき、寺は軽く一礼して賽銭を入れ、上からぶら下がっている音を鳴らす鰐口があれば鳴らす。拍手はせずに合掌し、願い事が終わったら再び一礼します。神社はお賽銭を入れた後に、鈴があれば鳴らし「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」をする。二礼二拍手一礼は二回お辞儀をして、二回手を叩いて願い事をし、おわったら一回お礼をする。このようなお参りに少々違いがある。

みくじ
寺や神社にはおみくじがあることが多いです。みんなおみくじを引いたことありますか。おみくじの中で、最も縁起のよいのは「大吉」と分かりやすいですが、「中吉」や「吉」、「末吉」などは、すぐには判断しにくいものもあります。おみくじの正しい順番ってなんだと思い調べてみました。結果から書いてしまうと、正式な順番はなく、それぞれの神社や仏閣などによって解釈が違うそうです。一般的におみくじの結果は6種類あり大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶です。その並び方として2種類あります。いい順番から大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶と大吉、中吉、小吉、吉、末吉、凶の2種類です。吉、中吉、小吉が入れ違いになっていますね。どちらが正しいという訳ではなく、2種類の解釈があるので、両方とも正しいです。おみくじの結果が12種類や17種類もある神社もあります。京都の伏見稲荷大社は17種類ものおみくじの結果がある。おみくじの縁起のよい順番を正しくに知るには、おみくじを引いた社寺に直接確認すると教えてもらうことができる。

豊臣秀吉
豊臣秀吉は、「人たらし」(人心掌握)、人の心を掴むことが得意であったと言われ、もとは貧しい農民の出だった。織田信長の家来として出世を重ね、関白、太閤と呼ばれる上の地位まで上りつめた。今でも豊臣秀吉は「太閤はん」と親しみをもって呼ばれている。

エピソード1
幼少期は「日吉丸」(ひよしまる)と言う名前で、顔はやせて、目がギョロっとしていたため、周りからは「小ざる」や「さる」と呼ばれていました。子供の頃はいくさごっこが好きで、身体は小さくても、すばしっこい知恵者だったと伝えられている。

エピソード2
彼は大出世を果たし高い地位を築きました。織田信長に気に入られるために知恵を絞った。とりわけ有名なのは、草履にまつわる話だ。 23歳の頃に織田信長のもとで雑用係として働いていた。ある雪の夜、織田信長は掃いた草履が温かかったことに驚いた。温かかった理由としては、豊臣秀吉さんが草履を懐に入れていたからだ。
これをきっかけに織田信長から目をかけられた豊臣秀吉は、戦場で大役を任されるようになり、手柄を挙げていった。

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