仁和寺御室88か所霊場

久しぶりの更新となりました。みなさんお元気でしょうか。

本日は久しぶりに仁和寺御室88か所霊場に行ってきました。

御室88か所霊場とは、仁和寺の裏手にある成就山にあります。そこにはたくさんのお堂が建てられており、それぞれのお堂には御本尊や弘法大師空海がお祀りされています。

四国88か所の写しである御室88か所霊場を巡れば、四国88か所霊場巡りと同じご利益を得ることができるそうです。

四国88か所巡りは1か月ほどかかりますが、御室88か所霊場巡りは約2時間程度で周ることが出来るので便利ですね。

そんな仁和寺御室88か所霊場に行ってきました。

小鳥のさえずりを聞きながら、御室88か所霊場をめぐりました。

途中で、365日のうち200日以上御室88か所霊場に通い続けている人に出会いました。その人にとってはいつもの散歩コースだそうです。へえそうなんだ。

時折木々の間から京都市を一望できます。古墳が沢山あることで有名な「双ヶ岡」も見ることが出来ます。

このように、天気が良ければ、本当に京都市まるっと見ることが出来るんですよ!

二条城、京都御所、さらに京都タワーだって見ることが出来ます!

御室88か所霊場に訪れる際のアドバイス

□動きやすい服装で訪れましょう 👖

※ところどころ、舗装されていない参道があるので動きやすい服装で行きましょう。また冬の時期は防寒対策をしっかりしておくとさらに良いです。

□明るい時間帯を選んで訪れましょう🌞

※特に冬の時期は、午後4時を過ぎると真っ暗になります。加えてイノシシ等の野生の動物も活動しますので、できる限り昼間に行くことをお勧めします🐗

□無断で植物などをとらないで!🍂

参道の脇に、たくさんの裏白(うらじろ)を見ることが出来ます。よく鏡餅にのっている葉っぱですが、たくさん生えているからと言って無断で取らないようにしましょう。取る際は必ず仁和寺の職員さんに許可を取りましょう。

興臨院

大徳寺で秋の特別公開が行われていることを聞きつけ、急行したWeb担当者。

そこには、昔の京都を閉じ込めた幻想的な空間が広がっていた。

興臨院とは、前田利家公の手厚い保護を受け、隆盛を極めたことは知られている。当初は畠山氏の庇護を受けていたが、戦国時代になるにつれて、没落していった。その後前田家が、本堂屋根の修復を行うなど、再興に尽力して、以降前田家の菩提寺となった。

そんなお寺を訪れた。

一番感銘を受けたのは、「羅漢図」である。江戸時代後期に描かれた作品であるが、狩野派の技法を継承しつつ、水墨画、浮世絵の要素を組み合わせた作品で、見ごたえがある。

一口メモ

ガイドされる方はいらっしゃいませんが、畳の上に説明書きが置いてありますので、水墨画や、庭園が出来た背景や、内容を知ることが出来ます。

庭園は写真撮影可能ですが、建物内は写真撮影不可ですので、ご注意ください。

黄梅院

黄梅院は、大徳寺の山内に位置するお寺である。

以前から気になっていたが、春と秋の一般公開のみであり、今年の春は新型コロナウイルス感染拡大を受けて、拝観休止をしていたので、訪れる機会を逸してしまった。なので、この秋に訪れたのである。

特に目を奪われたのは、解体修復された庫裏である。昭和後期に解体修復が開始され、3年をかけてこけら葺きがはりなおされた。今では、庫裏は畳が敷かれて冬場でも寒い思いをしなくて歩くことが出来るが、修復される前は板張りであったので、寒かったらしい。

自休軒

拝観受付の中であった為、写真撮影をすることは出来なかったが、一言でいうと本当に落ち着く空間である。自休の意味は、「ひとまず立ち止まって、一度自分の過去を見つめ直し、未来を考える」ことを意味する。なんとも深い。

ありがとうの詩?

建物内に入るとまず目に飛び込む「ありがとうの詩?」

それを読んで、両親に改めて感謝したくなった。

一口メモ

拝観受付の中は、撮影禁止です。

またガイドさんが各位置にいらっしゃるので、詳しい黄梅院の説明を聞くことが出来ます。

ちなみに拝観受付の外は写真撮影は可能ですので、特に紅葉シーズンであれば赤く染まった紅葉を撮影することが出来ます。

事前予約は必要ありません。

詩仙堂

詩仙堂は、ガイド協会の会員さんが口々にお勧めするお寺である。

それじゃあ、行ってみようか。詩仙堂。

Web担当者は急行した。

1.詩仙堂のお話

詩仙堂の名前の由来は、中国の詩家三十六人の肖像を狩野探幽に書かせて、梁の上にそれら絵画を掲げた「詩仙の間」に由来する。

今では、曹洞宗大本山永平寺の末寺である。11月下旬になると庭園の紅葉が赤く染まり美しい。

2.詩仙堂の庭園

詩仙の間から、庭園を鑑賞することも出来るが、庫裏から外に出ると庭園を散策することが出来る。

詩仙堂から庭園を眺める。

3.庭園散策

ししおどしのきれいな音も聞くことが出来る。

一言アドバイス

拝観料は500円納める必要があります。

室内の写真撮影は禁止ですが、お庭の撮影は可能だそうです。

大本山狸谷山不動院

―たぬきさんに会いに行こう-

Web担当者

1.はじめに

滋賀県の信楽地域では、たくさんたぬきを見ることが出来る。

Web担当者もたぬきさんが好きなので、信楽地域に定期的に訪問している。

しかし、京都市でもたくさんのたぬきさんを見ることが出来る場所があるという。

滋賀県甲賀市信楽地域にて。

それじゃあ、行こう!!

ということで、大本山狸谷山不動院に行ってきました。

2.狸谷山不動院への道のり

狸谷山不動院に続く道

狸谷山不動院に行く道のりは、とにかく坂が急勾配だ。

同じく一乗谷地域に位置する詩仙堂の上の坂を登るから、思ったより大変だ。

林道を進むと、不動院の参道が見えてくる ちなみに赤い鳥居の先の建物は白龍弁財天が安置されている。

この先、250段の階段を上ると、本堂を見ることが出来るという。

よし、それじゃあ、登ろうか!

まだ、50段?

お迎え大師を超えると、まだ長い階段が続く。

3.本堂 不動明王

それでは、狸谷山不動院のお話をしましょう。

今から300年ほど前の1718年(享保3年)、木食行を体得する為に、高野山で修業をした木食養阿上人が、自らの修業の場所としてこの地に「狸谷不動明王」を安置して、修業を行った。これより狸谷では不動明王信仰が始まった。

その後、昭和19年に、第一世貫主亮栄和尚が来られて、狸谷の地形を生かした森林伽藍を建立した。

ちなみに懸作りの中に置いてある巨大な木製の弓は魔除けだそう。

本堂にたどり着いた。250段の階段を上った後、上を見上げたら

本堂が姿を現した。驚いた。懸作りがとても印象的であった。

4.不動明王

本堂に安置されている不動明王。

不動明王が安置されているのは本堂奥の洞窟の中。

毛氈(もうせん)の上を歩き、不動明王の近くで拝むことが出来るが、

鳥肌がたつような感銘を受けた。

5.本堂から京都市を望む

訪れた日は悪天候であったが、晴れであったらもっと美しい京都市街地を見ることが出来ただろう。

6.たぬきさん

階段を上った拝観者を優しく迎えてくれます。

7.さいごに

それじゃあ、みなさん。また会いましょう。

一言アドバイス

本堂に拝観する為には、入山料500円を納める必要があります。

本堂内の写真撮影は禁止ですのでご注意ください。

妙蓮寺

妙蓮寺は、鎌倉時代の1294年に、日蓮上人によって創建されたお寺である。

1294年(永仁2年)に、妙蓮法尼は日蓮上人に帰依され、西洞院五条の邸宅をお寺に改められたことが、妙蓮寺の始まりとされている。

その後、堀川四条に寺域を移し、歴代の将軍や皇族の方々が訪れた。

また、安土桃山時代には、豊臣秀吉公が諏落第の造営をするにあたり現在の位置に移った。

現在はコロナウイルス感染拡大の影響により、拝観が中止されているが、感染拡大が終息したら、是非訪れてほしいお寺だ。

今宮神社

今宮神社の歴史は古い。

平安時代以前から、現在の今宮神社の場所に、疫神をお祀りする社があったとされている。

その後、994年には、都の悪疫退散を祈り、御霊会を行ったのが、今宮神社の始まりとされている。

江戸時代には、徳川綱吉公により今宮神社は復興された。

そんな歴史の深い「今宮神社」を訪れた。

雨上がりだったが、心地よい風がふく

一口メモ

会員の一人が今宮神社の近くでいただくことが出来る「あぶり餅」も大好きだそう。

今宮神社のお守りは、西陣織で京野菜が刺繍されたかわいいお守りだそうです。

なぜ京野菜が刺繍されているのか・・・?

それは今宮神社を支えた「桂昌院(お玉の方)」に由来があります。

桂昌院は、京都西陣の八百屋の娘として、生まれ、名前をお玉と言いました。お玉は大奥で一生懸命働いたそうです。

この働きが認められてお玉は、三代目徳川家光公の目にとまり、側室になりました。そして桂昌院として江戸幕府を支えました。

だから、お守りには京野菜が刺繍されているのです。

また、裕福な人と結婚することを「玉の輿」と言ったりしますが、これは

今宮神社にゆかりのあるお玉に由来します。

すっかり秋です。

堀川通で撮影した風景です。銀杏並木がとても美しかったです。

それよりも最近は、昼と夜の寒暖差が激しいです。

皆さんもお体にはご自愛ください。

そうそう、紅葉がきれいな清水寺のライトアップは11月18日からだそうです。

夜に照り映える紅葉と清水の舞台のコラボレーションをまた見てみようかな。

勧修寺

勧修寺とは、京都市山科区に位置する真言宗山階派大本山のお寺である。

勧修寺の歴史は今から約1100年程前までさかのぼる。900年に、醍醐天皇の発願により、建てられたお寺である。

1470年には焼失したものの、江戸時代以降、徳川家や皇室等の援助を得て復興した。加えて門跡寺院として格式を誇った。

そんな歴史の深い勧修寺を訪れた。

勧修寺入り口

他のお寺と比べて駐車場が充実していた。拝観受付まで思ったより距離があった。

勧修寺灯篭

書院前庭には、水戸光圀公により寄進された灯篭をご覧いただくことが出来る。

勧修寺庭園

とにかく庭園が広かった。秋には美しい紅葉を見ることが出来る。今回訪れた時には、他に拝観者はいなかった。

氷室池

氷室池を中心とした池泉回遊式庭園。

アドバイス

今回訪れた時には、拝観券の代わりにポストカードを頂くことが出来た。

お寺の方がとてもやさしかった。

行ってよかった。見てよかった。勧修寺。

アクセス

最寄り駅 地下鉄東西線「小野駅」